商学部生への経済学のススメ(改訂版)

伊藤秀史 (October 2, 2009)

学問への招待という特集のために執筆した文章 (『一橋論叢』第131巻第4号,2004年4月号) の改訂版です.このページの改訂は原則行いませんので,内容やリンクが古くなっている可能性があります.

宣伝:このエッセイの執筆がひとつのきっかけとなって『ひたすら読むエコノミクス』 (通称読むエコ) という本を2012年4月に出版しました.このエッセイの内容もアップデートされて含まれています.このエッセイを読んで知的好奇心を持った方にお薦めします.

学問って重要?

「商学部と経済学部の違いは何?」オープン・キャンパスや掲示板でよくある質問 (FAQ) です.「一橋は学部間の壁が低く,他学部の授業も履修できるので,どの学部に所属するかはさほど重要ではない.」と指摘する学生もいます.入試が学部別で行われるために新入生の属する学部はあらかじめに決まっていますが,必ずしも十分な情報に基づいて学部を選んでいるとは限りません.自分自身が本当に興味を持つ真の専門を的確に選ぶためにも,またできる限りはば広い視野を身につけるためにも,ぜひ他学部の科目を積極的に履修してほしいと思います.

一方,学問上の (アカデミックな) 視点から商学部と経済学部をみると重要な違いがあります.商学部は経営学科と商学科に分かれていますから,「経営学・商学」と「経済学」の学問上の違いです.「でも学問って学部生にとって重要なの?」「商学部で学ぶのは学問ではなく,卒業後に会社に勤めてからすぐに役立つ知識じゃないの?」商学部というと,何か学問からほど遠いものが想像されるのかもしれません.オープン・キャンパス等でよく質問が出るのですが,公認会計士試験の対策のようなことを大学は提供しません.大学は職業訓練校とか資格試験予備校ではありません (注1).大学の使命として研究・教育・社会への貢献があげられ,最近では後者2つが重視される傾向にあるようですが,大学の教員は教育者である以上にアカデミックな研究者です.これは,日本でも海外でも上位の大学ほど当てはまります.一橋大学も「社会科学の総合大学」として,これまで以上に研究成果をあげていこうと努力しているはずです.

にもかかわらず最近教育とか社会への貢献が重視されている背景には,これまでの大学教員に対するイメージが,象牙の塔にこもってひたすら研究活動に専念する,というものであったからかもしれません.しかし,実は日本の社会科学の水準は,まだまだ国際的にみて低い水準にあります.社会科学といっても多くの分野があり,国際的に活躍する研究者もいますが,全体的にみてこの指摘はおそらく正しいと思います.「ノーベル賞で日本人受賞者がいないのはノーベル経済学賞だけ.」もちろん,ノーベル賞ですべてを評価することにも問題はありますが,これが客観的な評価による現実なのです (注2)

これまで主に研究活動に取り組んできたはずなのに,国際的水準が低い理由のひとつは,研究活動に対する評価が徹底されていなかったからです.これも分野によって異なるので一概に言えないのですが,日本語のみでの研究成果の発信,レフェリー制 (注3) をとらない学内紀要等のみでの論文発表は,国際的な土俵での勝負を最初から避けているようなものです.もちろん日本語での発信にも重要な役割がありますが,少なくとも国際的評価という点で努力が不十分だといわれても仕方がないでしょう.

とはいえ,教員が国際的に著名な研究者であるかどうかよりも,その教員の教育に対する姿勢に学部学生がより関心を持つのもまた当然です.「優れた研究者であることと優れた教育者であることとは別」ということもよくいわれます.しかし,研究と教育は必ずしもトレードオフの (一方を立てると他方が立たないという) 関係ではありません.むしろ私は,優れた研究者が優れた教育者である可能性もかなり高いと思います.

いずれにせよ,自分の真の専門を選ぶためにも,学問としての相違を知ることは重要でしょう.一橋では学生による授業評価も行われていますし,また「HQ」という大学広報誌も出版されています (注4).大学教員も,自分自身の研究業績等をホームページ等で公開しています.多くの情報を自ら収集して,大学での学業を実りあるものにしてほしいと思います.

経営学・商学と経済学は何が違うの?

現代においては,経営学・商学と経済学は,それぞれ別の観点から定義された学問分野として理解するとわかりやすいでしょう.つまり,経営学・商学は主に「研究対象」という観点から,一方経済学は研究への「アプローチの仕方・思考様式」という観点から定義される分野であるといえます.

経営学・商学は,基本的には (i) 会社の経営 (マネジメント) および (ii) 会社を取り巻く市場環境や制度を対象とした学問分野です.より具体的には,(i) 経営戦略,組織,研究開発,人事,会計,マーケティング,財務など会社の経営のさまざまな職能・機能,および (ii) 流通市場,金融・資本市場,商品,技術,公共システム,規制などの環境・制度が研究対象となっています.主に前者が経営学,後者が商学の対象です.特に目新しい説明ではないでしょう.

むしろ,ややこしいのは経済学の方です.かつては,少なくとも経営学と経済学との相違を,研究対象の相違で説明することができました.というのは,市場 (マーケット),国家の経済全体,そして国家間の国際経済等が経済学の主な研究対象だったからです (注5).会社も「企業」という名称で経済学に現れますが,企業は市場の構成要員のひとつでしかなく,資金や労働力などのさまざまなインプットを放り込むと,アウトプットとして製品やサービスを吐き出す機械のようなものとして扱われています.その中で経営者・従業員がどのように関わりあってインプットからアウトプットへの変換を行っているのかは,まったく記述されません.このことから,「経済学における企業はブラック・ボックスだ」などと揶揄されたものです.いいかえれば経営 (マネジメント) は一切言及されていなかったわけです.また別の見方をすれば,この企業という機械が非常に優秀な経営を行っているものとみなされていた,ともいえます.なぜならば,伝統的な経済学における企業は,常に最小費用で最大利益を達成するものとして登場するからです.そのような理想が,どのようなマネジメントによって成し遂げられているのかについては語らずにです.要するに,経済学における企業とは単なるひとつの決定主体として捉えられており,個々に意思決定をする人々の集まり,すなわち組織としての側面は扱われていませんでした.

以上は,おおまかにいって1980年代以前の経済学です.早々と研究者であることをやめてしまった経済学者・エコノミストや,現代の経済学に疎い他分野の研究者の中には,経済学というと上記のような姿を想像して,いまだに皆さんに語る人がいるかもしれません.しかし,経済学はその後も進化し続けています.現代の経済学は研究対象をもっと広げています.企業についても,その内部の組織を分析する研究が1980年代以降大きく進展しました.いわゆる「組織の経済学」という分野です (注6).同様に「教育の経済学」「人事の経済学」「戦略の経済学」「法の経済分析」「日本政治の経済分析」「家族の経済学」「慣習と規範の経済学」「環境の経済分析」「プロ野球の経済学」「流通の経済分析」等々,「○×△の経済学」「○×△の経済分析」という呼び方が増殖し続けています.

この結果,経済学を定義する際には,研究対象よりも研究の際のアプローチの仕方・思考様式に注目した方がわかりやすいと思います.経済学というのはそれ自体,人間の行動に関する科学であり,人間の行動の分析に際して特定のアプローチをとる学問なのです.この点で対比されるべきなのは社会学や心理学で,社会学や心理学はそれぞれ異なるアプローチで人間行動を分析する学問です.これらの学問は,欧米の大学ではディシプリン (discipline) と呼ばれています.英和辞書によると「学問の一分野」「専門分野」「研究分野」などとありますが,ちょっと違うような気がします.つまり経営学・商学は主に研究対象で定義されており,それら自体はディシプリンではないからです(「いや,ディシプリンだ!」という経営学者がいるかもしれませんけどね).経営学者・商学者はそれぞれ,特定のディシプリン (経済学とか社会学とか心理学とか) を自身の主要な分析アプローチとして身につけて,研究を行っているという関係になります.ですから商学部に属する教員の中には,経済学的なアプローチをとる研究者もいます.これら経済学的アプローチをとる教員は,大学では商学部に属していても,学会等は経済学者の学会に属していることが多いです.

経営学・商学分野で経済学的アプローチをとる研究者の割合は,欧米では日本よりもずっと多くなっています.2004年に出版された経営者・管理職のための経済学の教科書において,著者は次のように語っています (注7)

ファイナンス (金融・財務) は実質的にはミクロ経済学に完全に支配されている.会計もほぼその状態に近い.戦略論やマーケティングの分野は経済学に大きく依拠している.オペレーション (生産管理) の分野では,ミクロ経済学の利用はそれほど大きくないが,それでも重要な役割を果たしている.そして人事の分野の少なくとも半分は経済学である.要するに,マネジメントの重要な機能の中で,ミクロ経済学が関与しないものを見つけることは難しく,しかもその関与の度合いは多くの機能において非常に大きい.ミクロ経済学を理解することは,マネジメントの機能を理解するためのカギとなる重要なことなのである.
著者が経済学者で,しかもこの著書は「経営者・管理職のための経済学の教科書」ですから,多少割り引いた方がいいでしょう.しかし,欧米のトップレベルのビジネス・スクール (注8) では経済学の授業は必須のものとなっています.日本の現状はこのような状況からはほど遠いのですが,今後は日本の経営学・商学分野でも,経済学の重要性がいっそう大きくなっていくと思います.

思考様式としての経済学とは?

では経済学は,人間の行動の分析に際してどのようなアプローチをとるのでしょうか.経済学は良くも悪くもほぼ首尾一貫して,人間の行動の背後には何からの「意図」があると仮定します.いいかえれば,明確な目的を持って,その目的をできる限り達成する選択をしようとする個人を考えます.そのような選択は「合理的 (rational)」意思決定と呼ばれます.「なぜそのような選択をするのかを論理的に説明できる」決定という意味です.もちろん,常に理想的な選択ができる人間を考えているわけではありません.知識や情報がない,他人や社会の決まり等のしがらみがある,情報の処理や計算能力に限界があるなどの制約によって,理想が成し遂げられない人間を考えています.しかし,それらの制約の範囲内で,できる限り「合理的であろうとする」人間を考える,という点で経済学は首尾一貫しているのです.

この経済学の人間観を,他のディシプリンである心理学,社会学とどのように異なるのでしょうか.これらの違いは,次のようなお話で端的に表されています.本格推理小説を読むと,密室殺人がよく出てきます.この密室殺人に対する心理学者的探偵の反応とは,「密室は犯人の異常な心理によるものだ!」社会学者的探偵の反応は「密室は犯人の意図せざる結果だ!」そして経済学者的探偵の反応は「犯人は何らかの意図があって密室にしたはずだ!」となります.

もう1点,経済学の分析アプローチの特徴としてあげられるのが,「モデル分析」という手法です.モデルを直訳すれば模型ということになります.ある現実問題のモデルとは,分析対象となる複雑な現実の問題を分析のために単純化して描写したものです.「モデルと現実は違う」という批判が聞かれるかもしれませんが,複雑な現実と同じではモデルの意味はありません.単純化することがむしろ重要なのであって,複雑な現実から枝葉末節を取り除き,その問題の本質的な部分を切り取ることで単純化するわけです.新入生の皆さんは『学生便覧』という分厚い冊子を受け取りますが,夏学期の履修科目を決めるという問題のためにはその大部分は枝葉末節です.重要な部分のみを,マーカーで色づけするなりノートに書き出すなり,図表にまとめることによって得られるものが,『学生便覧』のモデルになります.

モデルは単純化されたものですが,それはまた抽象化されたものです.経済学部生の中にも,抽象的なモデルを分析するという経済学の特徴に出会って,経済学に対してもっていたイメージと異なることにとまどう学生が少なくないようです.また,いったんモデル化された現実の問題は,数学を用いて分析されます.学部レベルの経済学では,必ずしも入試レベル程度の数学は必要ではないのですが,「数学が苦手で文系にした」学生の拒否反応は大きいようです.

経済学における数学の重要性を否定することはできませんが,より重要なのは厳密な論理を追う根気です.必ずしも受験数学の得手不得手と連動しているとは限りませんし,数学が苦手だと思うのならば,なおさら論理的思考の訓練のためにも経済学を勉強することのメリットは大きいと思います.論理的思考に長けることは,自分の専門を経済学的アプローチにしない学生にとっても大きな武器となります.日本を代表する経営戦略論の研究者もこう言い切っています.「私は,戦略とは論理だ,とますます強く考えるようになっている....戦略は論理だと考え,自分なりに納得のいく論理に基づいて判断することが重要なのである.論理が,情緒に流された判断にならないための最後のよすがになる (注9).」

学部生の皆さんは,以上のような経済学のアプローチに対して,批判的なコメントを読んだり聞いたりする機会が少なくないかもしれません.どうも日本においては,マスコミ,一般大衆のみならず,政治家(政党にかかわらず),法律家,門外漢の有識者,自称エコノミスト,...の経済学に対する理解や許容度が非常に低いようなのです.たとえば,かつてある大企業の社長さんだった人が,次のようなコメントを書いていました (注10)

全体としての経済学は今や死んでいると言っていいのじゃないですか.というのも会社経営を通じて日々の営みに身を置いていると,「人間とは合理的に行動するものだ」という近代経済学の前提そのものが,私にはどうも納得しかねるのです....現代経済学は数学に偏し過ぎていますが,これも人間を合理的な存在と見なすところから生じた傾向です....ようやく最近では心理学と経済学の融合を図った学者にノーベル経済学賞が与えられるなど,見直し機運が出てきている.当然であって,心の動きは数値化できないし,心を持った人間という非合理な動物に目を向けるなら,それを数学的に処理して法則を導き出すことの困難さが分かるはずなのです.

このようなコメントや「経済学は役に立たない」というたぐいのコメントの中には,その本人が,思考様式としての経済学をまったく理解できずに途中であきらめたという経験から書いていることもあります.そのようなコメントは論外としても,「人間は,経済学的アプローチが前提とするような方法では意思決定をしていない」と指摘は確かに正しそうです.合理的意思決定に基づく分析アプローチによって,経済学は多くの成果をあげているのですが,その前提が成り立たなくてもいいのでしょうか.

経済学はこの種の批判に対する回答を用意しています.そもそも批判は単なる誤解であって,実は経済学者は「人間とは合理的に行動するものだ」とは考えていないのです.むしろ正確には,「人間は合理的に行動する」と想定するのが経済学の思考様式です.実際には合理的に行動していなくてもいいのです.ただし,あたかも合理的に行動していると想定して分析したときの結果と,実際の行動の結果が一致するために満たされなければならない条件があります.その条件は本稿では述べませんが,実際の人間の行動がそれを満たすならば,実際の行動は,あたかも合理的に行動すると想定した分析結果と一致することが知られています.

もちろん実際の人間の行動が,その条件を満たさない可能性もあります.実は経済学では,実地調査のみならず多くの実験が行われています (「実験経済学」という分野もあります).その結果はさまざまで,条件を満たさない可能性はあるが,満たさないとしても条件から大きく外れるものではない,という肯定的な結果が得られている行動もあります.しかし,条件から一貫して大きく乖離することが観察されることも少なくありません.そのような乖離が見いだされた場合には,経済学は次のように対処します.まず,その乖離によってモデル分析の結果がどのように影響されるかを調べます.たいした影響がなければ,分析結果の有効性は強まることになります.第2に,分析結果への影響が大きいならば,モデルを修正することになります.第3に,上記の「日本を代表する経営戦略論の研究者」が言及するように,乖離は「情緒に流された判断」の結果である可能性もあります.この場合には,経済学的思考がその判断を正すという役割を担うことになり,モデルを変える必要はありません.このように経済学は,合理的意思決定とモデル分析という確固たる思考様式を持つがゆえに重要な役割を担い,また必要ならばシステマティックな軌道修正を行うことができるのです.上記の社長さんが指摘しているように,最近では心理学や社会学と経済学との融合が進展しています (注11).「行動経済学」という名称で呼ばれています.しかし社長さんが示唆しているような経済学が死んでいくプロセスではなく,経済学者が心理学等の成果を取り入れて,経済学をよりよいものに修正していこうとする試みなのです.

経済学に対する別の角度からの批判もあります.とりわけ現代の経済学は,分析対象から切り離して思考様式として定義されるので,逆に現実をみない,実態を欠いた抽象的なものとなりがちだという批判です.これは経済学自身に対する批判というよりも,経済学の研究者に対する重要な忠告といえます.現実との接点を持たない理論がダメなのは当然です.しかし,本当に優れた経済学的研究の成果に当てはまる批判ではありません (注12).しかし,何が現実と接点を持つかというのは,実はずっと後にならないとわからないことも多いのですね.だから,経済学者が全員「現実」ばかりを気にしているのも,必ずしも健全ではなく,抽象的,根元的な,一見現実と何の関係もないような理論をやっている研究者というのも,存在価値があるのです.

ゲーム理論って何?

さて,現代の経済学は研究への「アプローチの仕方・思考様式」という観点から定義されるということを述べてきました.このような観点が最近になるほどますます重要になってきた背景には,経済学自身の中身の変化・進歩というのが当然関係しています.

思考様式としての経済学とはいっても,もう少し中身を詳しくみてみると,経済学の中のどの理論を分析のよりどころとするかによって,分析アプローチも微妙に異なってきます. 今日では,経済学的な分析アプローチは,3種類の理論によって支えられているといわれることがあります (注13).第1の柱は「価格理論」と呼ばれます.かつてはミクロ経済学と価格理論はほぼ同義語でした.皆さんも「製品の需要量と供給量が等しくなる水準に価格が決まる」という主張に,高校の政治・経済の授業で触れたことがあるでしょう.また,「見えざる手」という表現を聞いたことがあるかもしれません.「利己的に行動する消費者や企業といった経済主体の自由放任が,見えざる手を通して,また社会的にも望ましい状態に導く.」これは,ミクロ経済学においてもっとも重要な成果のひとつ (注14)を表現していますが,これらはいずれも価格理論の範疇です.この理論の場合には,研究対象と完全に分離しているわけではなく,市場における価格決定と経済資源の配分を研究する理論でもあります.

第2,第3の柱はより新しいもので,思考様式としての経済学という特徴をよりはっきりとさせることを促進してきたものです.第2の柱は「ゲーム理論」,そして第3の (他の2つと比べると,まだ柱として十分認識されていない) 柱は「契約理論」と呼ばれるものです (注15).このうち1980年代以降に経済学に「静かな革命」をもたらし,今日では経済史,オークション,組織論,経営学,会計,政治学,国際関係,法律,慣習・規範,心理学,進化生物学など非常に幅広い応用範囲を持つグローバル・スタンダードな理論,ゲーム理論を紹介しましょう.とりわけ商学部の学生にとっては,価格理論からはじまるスタンダードな経済学よりも,ゲーム理論から学びはじめることによって経済学のアプローチをより自然に習得できると考えるからです.

2002年の第74回アカデミー賞作品賞を受賞したのは,『ビューティフル・マインド』という映画です (その他監督賞,助演女優賞など主要4部門を受賞しました) (注16).この映画でラッセル・クロウ演ずる主人公ジョン・ナッシュは,実は1994年に「非協力ゲーム理論における均衡の先駆的分析」によってノーベル経済学賞を受賞した3人のゲーム理論家のうちのひとりです (注17).映画は,ナッシュの数奇な運命をたどる同名のノンフィクションをベースとしたものです.残念ながら映画をみてもゲーム理論を学ぶことはできませんが.

われわれが何か決定しなければならない重要な問題に直面するとき,通常多くの不確実な要因があります.不確実なことがなくなるまで決定を遅らせることができるのは,むしろ稀なことでしょう.われわれが直面する不確実性には,大きく分けて2つの種類があります.第1に「自然の不確実性」と呼ばれるものです.明日の天気はどうなるか,宝くじにあたるかどうか,新製品がヒットするか,研究開発プロジェクトに成功するか,片思いの彼・彼女が自分のことを好いていてくれるかどうか,といった不確実性の結果は,私的な利害にかかわりのない「神の手」によってランダムに (無作為に) 決められることです.第2に「戦略的不確実性」と呼ばれるものがあります.ライバル企業の新製品導入の時期は,某先生の出題する今年の試験問題の分野は,映画館ではぐれてしまった恋人はどこで待っているか,といった不確実性の対象は,あなたと同じように意思決定に直面している相手の決定の結果です.相手もあなたの意思決定の結果をいろいろと予想して,時には裏をかこうとしたり,逆にあなたの決定にあわせようとして努力していることでしょう.したがって,自分の意思決定の前にに相手の立場にたって考え,相手の決定を予想することが非常に重要になってきます.このような特徴は,最初の種類の不確実性にはありません.自然の不確実性での事象の結果は,誰かの「戦略的」な打算によって決まるものではないからです.

ゲーム理論は,戦略的不確実性下の合理的意思決定の理論です.戦略的不確実性の意味からも明らかなように,意思決定者が複数いる状況を分析する理論です.ゲーム理論では意思決定者を「プレーヤー」と呼びます.簡単な例として大学の講義を考えましょう.プレーヤーは講義の担当教員と学生の2人です.本来履修する学生は多数いますが,ここでは議論を簡単にするために,ひとりの学生で代表させます (モデル分析です).教員と学生はそれぞれ「まじめ」か「テキトー」かのどちらかの行動を選択します.教員が「まじめ」を選ぶということは,きちんと準備をしていい講義をしようと努力することを意味します.「テキトー」は字のとおり,不十分な準備のままで手を抜いて講義することを意味します.一方学生が「まじめ」を選ぶということは,きちんと出席して与えられた課題をこなすよう努力すること,「テキトー」はあまり出席せず最終試験等一発勝負に燃えることを意味します.現実にはもっと多様な選択が可能でしょうが,簡単化のためにこれら2種類のいずれかを選ぶと仮定します (モデル分析です).

この設定において実現する結果は4種類あります.まず,教員も学生も「まじめ」を選ぶという結果です.これを (まじめ,まじめ) と書くことにします.最初の「まじめ」は教員の選択,2番目の「まじめ」は学生の選択です.すると4種類の結果は,(まじめ,まじめ),(まじめ,テキトー),(テキトー,まじめ),(テキトー,テキトー) と表せます.教員と学生はそれぞれ,この4種類の結果を自分にとって望ましい順番に順序づけることができます.そして望ましい順番を次のように仮定しましょう.

  • 教員:(まじめ,まじめ) → (テキトー,まじめ) → (テキトー,テキトー) → (まじめ,テキトー)
  • 学生:(まじめ,まじめ) → (まじめ,テキトー) → (テキトー,テキトー) → (テキトー,まじめ)

もっとも望ましい状態は,教員にとっても学生にとっても,教員は「まじめ」に講義を行い,学生も「まじめ」に受講する状態と仮定しています.次に,それぞれ相手が「まじめ」を選び自分が手を抜いて「テキトー」を選ぶ状態,3番目が両者とも「テキトー」を選ぶ状態,もっとも望ましくないのは,自分は「まじめ」を選んでいるのに相手は「テキトー」にやっている状態です.これらの順序は不自然なものでないでしょう.もちろん別の順序を想定することもできます.後でこららの順序とは少し違うケースを扱います.

分析をわかりやすくすために,以上の望ましさの順序を数値で表すことにしましょう.もっとも望ましい状態を 4,2番目に望ましい状態を 3,3番目を 2,もっとも望ましくない状態を 1 で表すことにします.数値が大きいほど望ましいということです.これらの数値は,大きさの順番さえ合っていれば他のどのような数値でも分析結果に違いはありません.

以上のモデル (ゲーム理論では「ゲーム」と呼びます) を次のような表にまとめることができます.

学生
まじめ テキトー
教員 まじめ 4,4 1,3
テキトー 3,1 2,2

表の4つのボックスは,上記の4種類の結果に対応しています.各ボックスの最初の数字は教員にとっての望ましさの程度,2番目の数値は学生にとっての望ましさの程度です.たとえば (1,3) は,教員が「まじめ」を選び学生が「テキトー」を選んだときの結果に対応しており,教員にとってはもっとも悪い結果 (よって数値は 1),学生にとっては2番目に望ましい結果 (数値 3) となっています.

さて,まず教員も学生も「まじめ」を選ぶ結果に注目しましょう.この結果は,教員にとっても学生にとってももっとも望ましい状態です.したがって,教員は自分の選択を「テキトー」に変えてもよくなることはないし,学生も自分の選択を「テキトー」に変えてもよくなることはありません.つまり両者ともこの状態に落ち着くことになります.

次に教員も学生も「テキトー」を選ぶ結果に注目しましょう.両者の望ましさを表す数値は 2 で,もっとよい状態が他にあります.しかし,教員は自分だけ選択を「まじめ」に変えても結果は改善しません.そうすると (まじめ,テキトー) となって,望ましさの程度は 1 に下がってしまうからです.同様に,学生も選択を「まじめ」に変えてもよくなりません.したがって,両者ともこの (テキトー,テキトー) という状態にも落ち着くことになります.よりよい状態が他にあるにもかかわらずです.

両者が選択を変えずに落ち着く状態である (まじめ,まじめ) と (テキトー,テキトー) は,このゲームの「ナッシュ均衡」と呼ばれるものです (注18).そう,映画でラッセル・クロウが演じたジョン・ナッシュが「発見」した「理論」です.このナッシュ均衡は,今日では「需要と供給」と並んで,経済学を勉強する者が必ず覚えなければならない単語とまでいわれることもあるほど重要な概念なのです.

このゲームではナッシュ均衡は2つあります.おもしろいのは後者の (テキトー,テキトー) というナッシュ均衡の方です.教員も学生もそれぞれ自分にとって望ましい状態を実現しようとして決定しています.しかし (テキトー,テキトー) という両者ともあまり望ましくない状態で落ち着いてしまう可能性を示しています.両者にとって望ましい (まじめ,まじめ) という状態があるにもかかわらず,教員も学生も自分の方からよりよい状態に移ることができずに悶々と悩まなければならない状態なのです.この落とし穴から脱出するためには,両者が行動をうまく調整して,同時に「テキトー」から「まじめ」に変更しなければなりません.

この単純な例のメッセージのひとつは,組織の個々のメンバーが合理的に意思決定をしていても,組織全体として望ましい状態に落ち着くとは限らない,という点です.組織の経営 (マネジメント) が重要であることを示してくれています.多くの部門からなる大企業において,各部門が個別に決定しているだけでは不十分で,部門間でコミュニケーションを取り,決定をうまく調整しなければならないのです.かつて「ベンチがアホやから野球がでけへん」と言ったとか言わなかったとかで話題になったプロ野球選手がいました (注19).このゲームに登場する教員と学生は,アホなどころかきわめて優秀なプレーヤーたちです.にもかかわらず,2人の集団を組織とみなしたときに,うまく機能しないという問題が起こりうるのです.問題に直面する組織で,「社長がダメだ」とか「最近の新入社員は個人主義的すぎる」と憤慨しても得られるものは少ないでしょう.個々のメンバーの決定や資質を直接問題視するのではなく,どのようにすれば社長にふさわしい人材が育ち社長になれるのか,個々の社員から組織にとって望ましい行動を引き出せるのか,を考えなければなりません.組織に対して経済学的にアプローチすることの強みは,問題を個人レベルに落とすのではなく,組織自体の問題を分析できることにあるのです.

教員と学生のゲームに戻って,プレーヤーにとって望ましい状態の順序づけを次のように変更してみます.

  • 教員:(テキトー,まじめ) → (まじめ,まじめ) → (テキトー,テキトー) → (まじめ,テキトー)
  • 学生:(まじめ,テキトー) → (まじめ,まじめ) → (テキトー,テキトー) → (テキトー,まじめ)

つまり教員も学生も,相手が「まじめ」ならば自分はむしろ手を抜いて「テキトー」を選ぶ方が望ましい,というケースです.これまでと同様に,望ましさの程度を数値化すると,新しいゲームは次のようになります.

学生
まじめ テキトー
教員 まじめ 3,3 1,4
テキトー 4,1 2,2

このゲームでも (テキトー,テキトー) はナッシュ均衡です.そして最初のゲームと同様に,(まじめ,まじめ) は両者にとって (テキトー,テキトー) よりも望ましい状態です (注20).しかし大きな違いがあります.(まじめ,まじめ) はもはやナッシュ均衡ではありません.相手が「まじめ」ならば自分は手を抜いて「テキトー」を選んだ方が望ましいからです.実際,この新しいゲームでは,相手が「まじめ」であれ「テキトー」であれ,常に自分は「テキトー」を選んだ方が望ましくなっています.個々のプレーヤーにとって望ましい行動は明らかなのです.にもかかわらず,実現する状態は芳しくありません.なんとか (まじめ,まじめ) に移行したいのですが,自分から動いても得することはなく,しかも仮に (まじめ,まじめ) に移ったとしてもそこに落ち着くことはなく,互いに出し抜きあうことによって最終的には (テキトー,テキトー) に落ち着いてしまうのです.この新しいゲームで (まじめ,まじめ) を達成することは,最初のゲームよりも難しくなっています (注21).そしてこのようなゲーム状況で,いかにしてより望ましい状態を達成するかについて,多くの研究成果が得られています.

まとめ:商学部生が経済学を勉強する理由は?

  1. 経営学・商学は主に研究対象に関して定義されています.商学部の新入生の皆さんは,大学の4年間の間には自分が専門とする対象 (戦略とかマーケとか人事とか金融とか) をはっきりと持つと同時に,自分の分析アプローチの仕方・思考様式を意識して習得してほしいと思います.経済学はそのような思考様式のひとつです.
  2. 論理的思考の訓練のために.学生時代に重要なことは,一見すぐに役立ちそうな知識の習得やビジネスのまねごとの経験ではなく,応用範囲が広く影響力の大きいひとつの理論体系に絞り深く勉強することによって,「なぜ」という問いを突き詰めていくための首尾一貫した「ものの見方」を身につけることだと考えています.特定の (優れた) 理論体系に絞り集中的に学ぶことによって,逆に応用の地平線が広がります.経済学は,厳密な論理的思考の訓練のために格好の学問であるといえます.
  3. 商学部生にとって,マネジメントのさまざまな職能・機能を理解することは当然重要です.そのためのカギは,少なくともグローバルには,経済学を理解することにあります.
  4. 現代の経済学を大きく変えたゲーム理論は,応用範囲の広いグローバル・スタンダードな理論です.組織に対して経済学的にアプローチするための基本にもなります.

おわりに

米国クリントン政権下で財務長官,その後ハーバード大学学長を経て,2009年現在オバマ政権の国家経済会議(NEC)委員長のローレンス・サマーズは,「日本経済復活のカギは「勉強する」ことにあり」というエッセイに次のように書いています (注22)

学問の中で最も抽象的な分野は数学です.では,数学の中で最も抽象的な分野は何でしょう.整数論です.では,整数論の中で最も抽象的な研究対象は何でしょう.素数です.あまり知られていないことですが,現金自動預け払い機 (ATM) がなぜきちんと動いているかというと,整数論の研究が進んだからです.それも1世紀とか半世紀前ではなく,20年前の研究成果です.90年代に広がった電子商取引も整数論の進化と切り離せません.利益に直接結びつかないように思われがちな抽象的な研究でも,ちゃんと経済の強さにつながるわけです.

社会科学でもっとも抽象的な学問は,おそらく経済学でしょう.皆さんもいろいろなところで経済学に対する批判を見聞きすることと思います.しかし,経済学は簡単には皆さんの目につかないところでさまざまな成果をあげています.習得は決して簡単ではありませんが,商学部の皆さんもぜひ勉強してみてほしいと思います.

リーディング・ガイド:何を読めばいいの?

まず私自身については,ホームページを参照して下さい.

このエッセイは私が以前に書いたいくつかのエッセイに部分的に依拠しています.これらの多くは上記のホームページで読めます.

教科書よりは手軽に読める,(ミクロ) 経済学の入門書として,以下の本をあげておきます.

  • マクミラン『市場を創る』 NTT出版,2007年 (原書へのリンク) (amazon).
    • この本は「市場」をうまく機能するように「創る」 (ある場合にはボトムアップな自然発生を通して,別の場合にはトップダウンによる設計によって) ことの重要性を,極端な市場主義にも反市場主義にも陥らないバランスのよい見地から,最新の経済理論の成果を背景にして,しかし数式等一切用いずに豊富な例でわかりやすく説明した素晴らしい本です.
    • 著者のJohn McMillanは研究者としても一流でしたが,2007年3月に癌のためになくなられました.僕が20代のおわりに客員教員としてUC San Diegoに滞在したときには,ずいぶんお世話になったこともあり,残念でなりません.
  • レヴィット+ダブナー『ヤバい経済学〔増補改訂版〕―悪ガキ教授が世の裏側を探検する―』 東洋経済新報社,2007年 (amazon).
    • インセンティブの分析という人間行動の科学としての経済学が,いかに分析対象を広げてくれるか,ものの見方に新しい切り口を与えてくれるか,を教えてくれる楽しい本.ちなみに著者のSteve Levittは,2年に1度,40才未満のアメリカの経済学者に授与されるJohn Bates Clark Medalの2003年の受賞者です.
  • ハーフォード『まっとうな経済学』ランダムハウス講談社,2006年 (原書へのリンク) (amazon).
    • 最近,経済学のおもしろさを伝えてくれる一般書の出版が日本でも増えています.上記最初の2冊は,研究者としても一流の経済学者による (しかし,非常にわかりやすくおもしろい!) 著書ですが,これは雑誌のコラムニスト・ (しかし現代の経済学の教育をきちんと受けてきている) エコノミストによる入門書です.

ミクロ経済学の教科書はたくさん出版されていて手に負えません.皆さんが履修する授業で指定されたものを参照して頂ければいいと思いますが,以下,「現代の」ミクロ経済学の教科書で目についたものをあげておきます.

「わかりやすい」ゲーム理論の入門本として,以下に読みやすいがしかし信頼できる本を数冊あげました.

  • ディキシット+ネイルバフ『戦略的思考とは何か』TBSブリタニカ,1991年 (amazon).
    • 訳書は縦書き.ゲーム理論的な考え方を豊富な事例で解説する超入門書のはしり.名著です.現在も海外の多くのビジネス・スクールのMBAプログラムで使われています.
    • 最近「改訂版」が出版されました (amazon)
  • マクミラン『経営戦略のゲーム理論』 有斐閣,1995年 (amazon).
    • 同じくかなり早い時期に出版された入門書.ディキシット+ネイルバフとは視点と力点が異なっており,その点でもお薦め.ほとんどの事例がフィクションではなく実例である点も貴重.付録では簡単な数学 (算数) モデルによる分析も行なっています.以下の組織の経済学や契約理論の入門にもなっています.
    • もっと安くしろと出版社に言っているのですが...はっきりいってこの出版社の価格戦略は失敗です.
  • 梶井厚志 『戦略的思考の技術――ゲーム理論を実践する』中公新書1658,2002年9月 (amazon).
    • 日常生活やビジネス・経済の身近な話題を用いてゲーム理論的な考え方を紹介する好著.ベッドタイム・リーディングとしては一番読みやすいかな.
  • 『経済セミナー増刊 ゲーム理論プラス』 日本評論社,2007年 (図書館等で探すか,研究室にきてください).
    • 「経済学はもちろん,経済学以外の学問分野とゲーム理論はどのような関係にあるのか,ゲーム理論がなにをしようとしているのか,この一冊で概観できる」そうです.経営学との関係についての小論(pdf)を僕が書いています.

もう少し詳しくゲームの構造を説明した教科書 (ゲームの木とか利得表とかが出てくるもの) :以下の3冊を薦めます.上記2冊は最近出版されたものですが,3番目の本も,文庫本とは思えないほど豊富な内容を網羅し,わかりやすくまとめている好著です.

本文中で引用した「経営者・管理職のための経済学の教科書」および「日本を代表する経営戦略論の研究者」の書物,映画『ビューティフル・マインド』の原作は,それぞれ以下の通りです.

  • David M. Kreps, Microeconomics for Managers. W.W. Norton, 2004.
  • 伊丹敬之『経営戦略の論理 第3版』日本経済新聞社,2003年 (amazon).
  • ナサー『ビューティフル・マインド:天才数学者の絶望と奇跡』新潮社,2002年 (amazon).

私の専門分野である「組織の経済学」「契約理論」については,上記の私のエッセイでも触れています.組織の経済学の文献については「組織の経済学⽂献リスト (pdf)」 を参照のこと.

契約理論は「インセンティブ設計の理論」といいかえた方がわかりやすいかもしれません.入門レベルの本ではありませんが,

では,基本的な考え方,応用分野の展望をまとめています.契約理論の歴史については,以下を参照してください.

1) 「学問なんていらないよ」と考える学生は,三枝匡 氏(ミスミグループ本社CEO)の次の文章を読んでください.「すでに勉強を済ませている人は,ドジを踏んだときに,「この失敗は,以前に自分が座学で学んだこととおなじではないか」と気づいて愕然とします...この時点で過去の学びはようやく,身に染みた自戒と因果律データベースに変わるのです.しかし勉強したことのない人にはこの照合が起きない.だから,見かけは違っても根っこのおなじ失敗をまた繰り返す...いくら年を取っても勉強と青臭さは必要なんです.」(「経営者人材」育成論,Diamond Harvard Business Review, Jan. 2007)

2) ノーベル賞はアカデミックな研究に対する評価に基づきます.研究の評価は主に,それぞれの分野の代表的な (おそらく皆さんが聞いたことのない名前の) 国際的学術雑誌に掲載される論文や著作に対して行われます.2002年ノーベル化学賞を,島津製作所の田中耕一氏が受賞して話題になりましたが,彼の受賞も国際シンポジウムでの報告,Rapid Communications in Mass Spectrometry という国際学術雑誌への論文掲載,そしてその成果を引用する他の研究論文があったからこそです.みなさんがマスコミ等を通して名前を知っているような経済学者が,ノーベル賞を受賞するという可能性は非常に小さいです.外国のノーベル賞受賞者の寄稿が新聞等に載ることがありますが,あれは逆に受賞したから載っているのです.日本はノーベル賞受賞に弱いですからね.

3) 通常国際的な学術雑誌では,投稿された論文を複数のレフェリーと呼ばれる人に読んでもらい,採択するかどうか,改訂してもらうかどうか等の判断を行います.トップ・レベルの雑誌ほど掲載される可能性は小さくなります.このような制度をレフェリー制と呼びます.日本語の雑誌でもレフェリー制をとるものがありますが,学内の紀要などでは,通常その大学の教員ならば,そのような審査なしに論文を掲載することができます.

4) ただし,所詮は宣伝雑誌ですから,ときどき固定観念に縛られた怪しい記述もみられます.

5) この見方では,すでに商学と経済学の区別はあいまいです.なお個々の市場の機能に主に注目する経済学は「ミクロ経済学」,経済全体に注目するものは「マクロ経済学」と呼ばれます.

6) 実は私の専門分野です.

7) Kreps (2004, page 7).

8) 将来の経営者・管理者のためのMBA (経営学修士) 教育と,経営分野の研究者養成に特化した独立大学院.上記教科書の著者は,米国スタンフォード大学ビジネス・スクールの教授です.

9) 伊丹 (2003,i--iiページ).

10) 『日経ビジネス』2003年8月4--11日合併号121ページ.

11) 2002年のノーベル経済学賞は,実験経済学のお手法を開発し成果をあげた研究者と,心理学の研究成果からの洞察を経済学に融合させる試みで成果をあげた研究者に与えられました.
https://www.nobelprize.org/prizes/economics/2002/

12) もっとも経済学的アプローチをとる研究者の中には,経済学がおもしろいからやっているという人も少なくありません.経済学ってハマると結構知的好奇心を満たすものなのです.文学や数学や音楽をやっていて「役に立たない」と不平をいう人はいないのですが,経済学に対して「非現実的だ」と不平をいう人は多いのです.大変な分野です.

13) ここでの経済学はミクロ経済学を想定しています.マクロ経済学だと柱となる理論は異なるかもしれません.

14) 「厚生経済学の第一命題」と呼ばれます.

15) 第3の柱は私の専門分野でもあります.

16) https://www.abeautifulmind.com/

17) https://www.nobelprize.org/prizes/economics/1994/

18) 他の2つの結果はナッシュ均衡ではありません.読者の皆さんは確かめてみて下さい.

19) 元参議院議員の江本猛紀氏.当時阪神タイガース (1981年).

20) ただし満足の程度は 4 から 3 に変わっています.この新しいゲームでは,一方のプレーヤーの満足度が 4 のときには他方のプレーヤーの満足度は 1 ですから,4 を達成することは難しいでしょう.

21) この新しいゲームには「囚人のジレンマ」という名前が付けられています.

22) 『日経ビジネス』2002年5月20日号,1ページ.