学問の世界地図 優れた解剖学としての経済学

伊藤秀史 (河合塾編著『別冊宝島322 学問の鉄人』宝島社1997年掲載)

経済学とは,なかなか掴み所のない学問である.その最大の理由は,経済学が二つの顔を持つところにあるのかもしれない.「分析対象」としての顔と「分析方法」としての顔である.

経済学の分析対象は,新聞の経済欄や日本経済新聞がカバーするいわば「経済」である.「これが経済です.皆さん自由に触ってください」というものが身近においてあるわけではないが,少し考えれば,日常生活の身近なところに経済学の対象はいくらでもころがっている.価格破壊,消費税,不況,規制緩和,円安,...このコーナーの後半で紹介される経済学の諸分野の名称の多くは,経済学が分析対象とする経済の諸側面を表している.

多くの人は「経済学」と聞いて,経済の諸問題を「解剖」し「治療」し,そして「予防」する,いわば社会の医学のようなイメージを持つようである.実際には,絶えず難病に直面しているからか,経済学は治療や予防になかなか有効な処方箋を提供してくれない.しかし,「だから経済学は役に立たない」という批判は的外れである.経済学は非常に優秀な解剖学なのである.そのことが優れた治療や予防に必ずしも結びつかないところが,経済学そして人間社会の面白さであり,治療や予防を無理に目指すことは,経済学自体の優れた面を失うことにもなりかねない.

一例をあげよう.90年代のヒット曲である米米Clubの「君がいるだけで」やチャゲ&飛鳥の「Say Yes」は,日本歌謡史でもっとも売れた曲の上位トップ5に入る.ヒット曲の売り上げ枚数はどのような要因によって決まるのだろうか.人気ドラマとのタイアップがあったか,コマーシャルに使われたか,また「曲のよさ」などが重要そうである.しかし同じ100万枚でも,70年代と90年代では日本のマーケットの大きさ,生活水準,シングルの価格などが違いすぎるので,これらの要因を調整することも必要である (余談であるが,日本歌謡史上最大の売り上げ枚数を誇るのは,子門真人「およげ!たいやきくん」である.時代の相違を考えれば,1976年のこのヒットがいかに巨大なものであったかかがわかるだろう).あなたが経済学をマスターすれば,売り上げ枚数に影響を与える要因を列挙して,各要因が果たして売り上げ枚数の増加に結びつくかを,クールにそして隙のない論理で説明することができる.そして過去および現在のヒット曲のデータから,それぞれの要因が理論どおりの影響を与えているか,どのくらいの割合が経済学によって説明できるかを調べることができる.こうしてあなたは鋭い音楽評論家になれるかもしれないが,明らかにヒット曲を生み出したり予想したりすることに成功するとは限らない.いや,多分失敗するだろう (誰が「およげ!たいやきくん」をヒットさせようと画策したか,予想しただろうか).

経済学のもう一つの顔,分析方法は,実はもっと誤解されやすい顔である.抽象的な基礎理論としての顔である.経済学は決して,金もうけのための「実学」ではないことを声を大にして言いたい.経済学の本質は人間の意思決定を理解することにある.意思決定とは選択することである.多くの可能な選択肢の中からどれを選ぶか,という問題である.政府も企業も消費者もさまざまな意思決定問題に直面している.あなたも日常生活でさまざまな選択を行わなければならない.受験,授業履修,就職,結婚,...このような意思決定問題に対して経済学は,「意思決定者は各選択肢の費用と便益を計算して,もっとも望ましい選択を行う」というアプローチをとる.たとえば内定をもらったいくつかの会社,試験に合格した大学院,公務員などの選択肢の中から,どの職を選ぶかという問題を考えよう.経済学的に考えるとは,各会社,大学院,公務員それぞれを選んだ場合のプラスとマイナスを列挙して,ある基準に従ってそれらのプラスとマイナスを評価し,最も評価の高いものを選択する,ということである.

このような考え方に対して,実際には人間はこのように合理的に意思決定を行っていない,という論拠に基づいて,「経済学は非現実的だ」という批判が横行している.しかし人間の行動を正確になぞることはそもそも不可能で,むしろ極端なアプローチの方が,人間行動の隠された側面を理解するために有効なことも多いのである.特定の目的に特化した地図の方が,実際の地形にこだわりすぎた地図よりも有用なように.

経済学を他の社会科学から分かつのは,取り扱う分析対象にあるのではなく,この分析方法にある.そして経済学のこの本質的性格が,経済学の適用可能性を豊かなものにしているのである.経済学部でミクロ経済理論を最初に教えるのも,このような理由があるからである.