ノーベル経済学賞2009

伊藤秀史 (『週刊エコノミスト』2009年11月24日号,34-35ページ掲載記事の元原稿)

2009年のノーベル経済学賞をエリノア・オストロムとオリバー・ウィリアムソンが受賞した.専門的見地から十分な時間をかけた選考委員会の決定を歓迎するとともに,受賞された両氏に敬意を表したい.本稿では,できるだけ客観的に受賞の内容を紹介しよう.

スウェーデン王立科学アカデミーの公式声明によると,オストロムは「経済ガバナンス,とりわけ共有資源の分析」に対して,ウィリアムソンは「経済ガバナンス,とりわけ企業の境界の分析」に対して授与された.これらの受賞理由からも明らかなように,キーワードは「経済ガバナンス」である.

経済ガバナンスという用語になじみのない読者も,コーポレート・ガバナンス(企業統治)という用語を聞いたことがあるかもしれない.その意味をひとことで言えば「会社の経営の規律づけの仕組み」である.会社がさまざまな利害関係者の利害に沿って経営されるように規律づけるためには,市場競争,敵対的買収,銀行による監視,取締役会による規律づけ,などの仕組みがある.最近では,行政ガバナンス,環境ガバナンス,グローバル・ガバナンス,コミュニティ・ガバナンス等,さまざまな経済問題に用いられるようになってきている.これらの総称としての経済ガバナンスとは,経済活動や取引をサポートする法的,社会的制度の構造と機能のことで,財産権の保護,契約の強制,公共財やセキュリティ・ネットの提供などが主要な課題となる.

オストロムとウィリアムソンは,それぞれ異なる現実問題に注目しながら,経済ガバナンスの理解を深めることに大きな貢献をしてきた.

オストロムが注目したのは共有資源(コモンズ)の問題である.共有資源とは,複数の個人が共有して利用できる資源であるが,各人の利用が他の人の利用可能性を減じてしまう特徴を持っている.河川,湖,海洋などの水資源や,漁場,牧草地,森林などが代表的な例である.このような共有資源の利用で問題になるのが過剰な開発や乱獲である.ひとりひとりの利用する量は少なくても,自分の都合のみを考えて利用する人々の利用量を足しあわせると,資源の枯渇や破壊が進行してしまう.個々人が総量のことを考えて少しずつ利用を控えれば解決するのだが,今日の環境問題からも明らかなように,実行することが大変難しい問題である.

この問題を解決するためにはどのようなガバナンスが望ましいだろうか.典型的には,共有財産であることが過剰利用につながるという理解から,国家が財産権を持って管理するか,民営化して民間企業に財産権を集中させる方法が主に議論されてきた.ところがオストロムは,資源を共有財産としたままで利用者自身にガバナンスさせるセルフ・ガバナンスがうまく機能する事例を見いだした.そして多くの事例研究を積み重ねて,そのようなセルフ・ガバナンスが成功する条件を明らかにしたのである.

ウィリアムソンが注目したのは企業の境界の問題である.「市場経済」とはいえ,すべての取引が市場を介して行われているわけではなく,大企業の内部で多様な取引が行われている.企業の境界の問題とは,典型的には,最終製品に必要な部品を市場で購入するか(アウトソーシング),それとも部品事業を統合して,自社内で製造してしまうか,という市場のガバナンスと組織のガバナンスの間の選択の問題である.

ウィリアムソンの理論は,取引が複雑かつ不確実で,事前に完全な契約を書くことが難しく,当事者間の取引関係に特殊的な投資を伴う場合には,取引のガバナンスを市場から組織に移し,権限関係を用いて取引を統治することが望ましいと予測する.関係特殊的な投資の例には,取引相手の倉庫に隣接した工場の建設,カスタム部品製造に特化した機械の購入,特殊な製品や製造工程等の知識の習得に費やされる時間や費用,などがあげられる.市場ガバナンスの下でこのような投資が行われると,互いに相手との取引をうまく継続したいという意図と,相手に対する独占的な立場を利用して,取引から生じる利益を少しでも多く獲得したいという意図とが絡み合い,交渉が行き詰まる危険が高まるためである.彼の理論予測は,その後多くの事例やデータで確認されている.

またウィリアムソンは,組織よりも市場ガバナンスの方が望ましい可能性についても,単に組織の諸問題を指摘するのみでは不十分であることを指摘し,市場の方がうまく機能するならば,なぜ組織内に市場の機能を取り込めないのか,という問題設定を明確にして,重要な分析を行った.さらに彼の理論は,市場か組織かという白黒をつけられない,グレーゾーンに位置する取引関係(フランチャイズ,アライアンス,企業グループなど)にも及んでいる.

2人の受賞がもたらす共通のメッセージをいくつか指摘しよう.第1に,2人の研究はいずれも現実の事例の観察から出発し,かつ多様な事例を一般化する理論を構築するという方向で発展していった.第2に,彼らの研究は独創的なものだが,経済学の主流から切り離された,浮いた存在ではない.オストロムは自らゲーム理論を利用して自身の知見を精緻化することを試み,さらに経済実験を通して検証を行った.その過程で既存の理論では説明できない発見を指摘し,ゲーム理論,行動経済学,実験経済学の分野にも影響を与えつつある.ウィリアムソンの理論や概念を定式化する試みは1980年代以降爆発的に進展しており,契約の経済理論や組織の経済学という分野の確立に大きく貢献した.ウィリアムソン自身も,それらの研究成果を吸収して,自分自身の理論を精緻化し続けている.

第3に,彼らの受賞は学際的な研究の重要性と,経済学自身の分析対象の多様性を示唆している.オストロムの博士号は政治学であり,アメリカ政治学会会長等も務めた.ウィリアムソンの理論は心理学,法学,社会学など,経済学以外の多くの要素を取り入れている.逆に彼らの研究は,経済学の分析対象が市場やマクロ経済に限定されないことを,改めてはっきりさせたといえる.

しかし,彼らの受賞が,経済学は役に立たない,市場は重要でない,市場は機能しない,といったメッセージを発しているととることも誤りである.「市場原理主義」「経済合理性」といった用語の意味を正確に定義もせずに(もしくは単純に誤解したままで)批判しても,市場の機能への理解を深めることにはつながらないし,ましてや市場を含む異なるガバナンスの間の比較を冷静に行うことなどできない.彼らの受賞が市場の理解にもたらす重要なメッセージは,市場自体にも財産権,法制度や取引慣行を通した契約の強制等について,適切なガバナンスが必要だ,ということであろう.経済学はトレードオフ(二律背反,一方をたてると他方がたたなくなる関係)を明らかにする学問である.彼らの研究によって,共通の枠組みでさまざまなガバナンスの比較が行われ,どのような条件でどのようなガバナンスが望ましいのか,なぜセルフ・ガバナンスが機能するのか,市場よりも組織の方が望ましいガバナンスとなる条件は何か,なぜ市場の優れた特徴を組織に取り込むことが難しいのか,といった問題に取り組むことが可能になった.経済学はよりいっそう「役に立つ」学問へと発展したのである.