企業の境界

伊藤秀史 (日本経済新聞「やさしい経済学」1997年2月6日~13日)

所有は重要か

 「企業の境界」という今回の主題は,最近経済学者の間で最も理論的関心を集めている問題のひとつである.が,しばらくの間この主題は忘れてもらって,一見何の関係もないような「所有」にまつわる話に付き合っていただきたい.

 私有財産の権利が,私たちの経済の基礎となる最も重要な特徴のひとつであることを疑う者はいないだろう.しかし「所有する」ことでどのような経済効果が生まれるのだろうか.

 簡単な例から始めよう.弘美が薫の所有する一台のパソコンを利用してソフトを開発・販売しようとしている.このとき,弘美が薫からパソコンをリースして開発を行う場合と,弘美がパソコンを薫から購入して自分で所有する場合とでは何が異なるのだろうか.

 「所有者は,必要に応じてパソコンに新たなハードウェアを追加したり,オペレー ティング・システム (OS) を変更したり, 新たなプログラミング環境を導入したりできるが,リースの場合にはそのような変更は許されない.」「所有しているパソコンを売却することは自由だが,リースしているパソコンを売却することはできない.」 「リースの場合には,薫は状況によってはパソコンを弘美から取り上げ,別の用途に使うことができるが,弘美が所有している場合には,そのようなことはできない.」 これらの主張は,一見もっともである.しかし実は,これらの相違の根拠をもう少し注意深く考える必要がある.

 もしもリース契約に,「〇〇の状況では 新たなハードウェアの追加を認め,××の 状況ではOSを変更でき,△△の状況ではプログラミング環境を新たに導入してもよい.」「以下のいずれかの要件が満たされれば,弘美は薫に一定の金額を支払うことによって,当該資産を自由に処分できる権利を与えられる.」といった条項をはっき りと記述しておけば,最初の二つの相違点はなくなってしまう.同様に,弘美がパソコンを薫から購入する際に,「薫が弘美のパソコンを別の用途に利用できる場合がある.それは次のいずれかである.」という形式の契約が結ばれていれば,最後の相違点も消えてしまう.

 すなわち,将来のあらゆる状況について, 資産 (パソコン) をどのように利用・処分するかを詳細に取り決める契約を事前に書くことができるならば,誰が資産を所有しているかは重要な問題ではなくなる.パソ コンを所有するのは弘美でも薫でもかまわない.ソフトの開発・販売が最大の利益を生み出すように,彼らの間で適切な取り決めを行い,拘束力ある契約を交わせばよいのである.

契約の不完備性

 ところが前回説明した契約を実際に書こうとすると,多くの困難に出会うだろう. まず,資産 (パソコン) の利用と処分に関連した将来起こりうる状況をすべて列挙することができるケースはまれである.契約を交わす時点では予想もしなかった事態が生じる可能性がある.さらに,それぞれの状況と,その時の弘美と薫のとるべき義務を一切あいまいさのないように記述することも難しそうである.いざ契約を履行しようとする段階で,果たしてどの条項が適用されるのかをめぐってもめることは日常茶飯事であろう.これらの結果,契約後にも再び弘美と薫はどのように対処するかを決め直さなければならない状況にたびたび直面することになる.現実の契約のもつこのような特徴は,「契約の不完備性」と呼ばれている.

 実は契約の不完備性を前提にして初めて,パソコンを誰が所有しているかが意味を持ってくる.つまり,どう対処すればよいかを契約が教えてくれない状況では資産の所有者が最終決定権を持つ,と理解することができる.たとえば予期せぬ半導体メモリの欠陥が発見されたときに,パソコンを買い換えるかそれともメモリを交換するかを決定できるのも,契約に記載されていない理由で取引を解消したときにパソコンをどう利用・処分するかを決める権限を持つのも,パソコンの所有者である.このような権利は,どのような状況が生じても各自の義務があいまいさなく記述されている完璧な契約を書けるような仮想の世界では,まったく無意味なものとなる.

 かくして弘美が薫からパソコンを購入して所有者となる場合と,所有者の薫からリースする場合の違いは,誰が「法律や契約によって他人に移転された権利以外の,資産利用に関する決定権」を持っているかにある.ではソフト開発・販売のもうけを大きくするためには,誰が所有する方がよいだろうか.

 最も単純なケースは次の状況である.薫はパソコンの開発・販売に必要な知識を一切持たず,弘美が開発・販売を一手に引き受ける.さらに弘美は開発・販売に先立っ て,問題のパソコンに習熟するために十分な時間を費やして知識を蓄積する.たとえば弘美は,OSやソフトの開発環境を学習 して,自分にとって使いやすい設定に変更するために手間暇かけるかもしれない.ここで鍵となるのは,弘美にパソコン習熟に十分な時間を費やす誘因 (インセンティブすなわちアメとムチ) を与えることができるかどうかである.読者は直感的に弘美がパソコンを所有しているほうが望ましいと考えるのではなかろうか.確かに自分の所有するパソコンと他人のパソコンとでは, それをマスターするための熱の入れ方が違いそうである.

最適な所有パターン

 弘美がパソコンを所有するほうが利益が大きくなるという直感が正しいことは,次のように説明できる.弘美のパソコン習熟への投資の後,ソフト開発・販売で生み出される利益の分配をめぐって弘美と薫が交渉し,分配比率が決定されるとしよう.交渉結果を左右するのは,両者の「外部機会」 での利得,すなわち交渉が決裂した場合に各人が獲得できる利益である.

 まず弘美がパソコンの所有者である場合には,仮に薫との交渉が決裂しても失うものは何もない.これまで蓄積された知識と所有するパソコンを使って,開発・販売を続けることができる.したがって,知識蓄積をサボったことのツケもパソコン習熟に励んだ報いも,すべて弘美に帰ってくる. このとき,弘美はもっとも望ましい (効率的な) 投資を行うよう動機づけられている.

 一方薫がパソコンを所有する場合には, 所有者である薫は交渉が決裂した場合に, 弘美からパソコンを取り上げて使わせないようにする権利を有する.よって弘美は外部機会において慣れ親しんだパソコンを使えず,それまで薫のパソコン習熟に費やした時間の多くは無駄になってしまう.このことを恐れて,弘美は譲歩して利益の一定割合を薫に分配せざるを得ない.その結果, 弘美は知識蓄積の投資を控えてしまう.

 以上の結論は,薫がソフトの開発・販売に何ら貢献しないという前提に強く依存しているように感じた読者が多いかもしれない.そこで薫に次のような役割を与えよう. 実際にソフトを開発・販売するのは弘美であるが,薫はパソコンのハードウェアのメインテナンスに習熟し,パソコンの修理やハードウェアの拡張・交換を一手に引き受ける.弘美にとってパソコンがきちんと作動しなければソフト開発はできないのだか ら,この変更によってソフトの開発・販売から生み出される利益は,二人の共同作業の成果ということになる.

 この時弘美と薫のどちらがパソコンを所有する方が望ましいだろうか.問題は,所有していない側は交渉決裂時にはパソコンをもはや使えないために,不利な合意を強いられることを予想して投資を控えてしま う点にある.直感的には,弘美と薫のどちらの投資の方が利益に大きく貢献するかに依存するだろう.また,投資の貢献度が同 じならば再び外部機会が重要になる.交渉が決裂した場合には,パソコンの所有者は新たな協力者を探さなければならない.たとえばパソコン技術は十分標準化されているので,薫同様に問題のパソコンのメインテナンスを行う人を容易に見つけることはできるが,弘美のような人材は希有で,結局弘美なしではパソコンを所有していても価値を生み出すことができないならば,ソフト開発・販売に「不可欠な」弘美がパソ コンを所有した方がよい.

複数の資産

 これまでの例は,パソコンという一種類の物的資産の所有の問題であった.次にこの例を少し拡張して,ソフト開発に要する一連の物的資産 (パソコン,OS,開発環境等) と,ソフト販売に要する一連の資産の所有を考えてみよう.後者には,自動車や携帯電話のような物的資産以外に,顧客リストやブランド・ネームのような無形の資産も含まれる.弘美はソフト開発および顧客についてさまざまな知識を蓄積するが, 販売に関しては薫が一手に引き受けるとしよう.薫は顧客について多くの情報を収集 ・蓄積する一方,ソフトの開発環境や製品としてのソフト自身についても学習する必要がある.

 もしも二種類の資産が「独立」ならば, 一種類の資産のみが存在する場合と同様の理由で,それぞれ別々に所有されるほうが望ましい.たとえば開発環境も製品も標準化されており,弘美にとってはソフト開発のための資産,薫にとってはソフト販売のための資産さえあれば,もう一方の資産を所有しているかどうかは投資の成果とは無関係な場合である.この時には,それぞれ自分に関連ある資産を所有していれば投資の成果が帰ってくるので,十分な投資を行うよう動機づけることができる.ところがたとえば弘美が両方の資産を所有していたら,弘美の投資はソフト開発のための資産のみを所有している場合から変化せず,一 方薫は投資を控えてしまうだろう.

 逆に二種類の資産が「厳密に補完的」な場合には,どちらか一方が両方の資産を所有することがベストである.二つの資産のどちらか一方が欠けるとまったく利益を生み出さないとき,それらの資産は厳密に補完的と呼ばれる.自明な例としては,孤立して立地する発電所と送電線,パソコン産業黎明期のハードウェアとOS,およびOSとアプリケーション・ソフト,特殊な工業製品の組立工場とその製品のカスタム部品の製造工場,などが挙げられる.

 ここでの例で,開発されるソフトが特定の顧客の要請による特殊な製品で,開発のための資産も特定化されたものであるために厳密に補完的な関係にあると仮定しよう. すると,一方の資産のみを所有していても交渉決裂後には何ら利益を生み出さないので,資産が別々に所有されている場合には弘美も薫も投資を控えてしまう.一方,もしも仮に薫が二種類の資産を両方所有していれば,交渉が決裂した場合でも,弘美の代わりに誰か別の開発者を雇うことによっ て自分の投資の成果を受け取ることができる.その結果,薫は投資を行うように動機づけられる.したがって,どちらかがすべての資産を所有している方が,別々に所有する場合よりも高い利益を生み出すことが できる.

企業の境界とは

 さて,ようやく「企業の境界」である. 企業の内部と外部の市場を分かつ境界とは何だろうか.そしてその境界はどのように決まるのだろうか.なぜある取引は企業の内部で行われ,別の取引は外部すなわち市場で行われるのだろうか.このような「企業の境界」の問題が,今日経済学で注目されている.これらの「なに」「なぜ」に首尾一貫した答えを与えられる枠組みができて初めて,たとえばメーカーが部品を内製するか外注するか,ファストフード・チェ ーンが新店舗を自社店舗として経営するかフランチャイズとするか,会社が新たな事業を事業部で行うか別会社で行うか,といったビジネス上の問題の論理を体系的に考えることができるようになるだろう.

 伝統的な経済学では,企業はさまざまなインプットを財やサービスに技術的に変換して市場で販売する機械のような存在である.このような企業モデルは,企業の境界については何も教えてくれない.ひとつひとつの機械をそれぞれ別個の「企業」とみなすこともできれば,逆に経済をひとつの巨大企業とみなし,それぞれの機械は別個の事業部・工場を表わすと考えることもできるからである.

 「取引を市場で行う費用が企業内部で行う費用よりも大きければ,取引は内部化され,企業の境界は外に広がる.」九一年に ノーベル経済学賞を受賞したロナルド・コ ースの知見を拠り所にして,市場で取引を行う費用が企業内部の権限関係に基づく取引によって節約される,という見方が次第に人気を得てきた.

 しかしわれわれの経済では無数の市場取引が行われている.取引を内部化する費用とは何だろうか.そのような費用が大きいとしても,なぜ企業内部で市場取引を模倣できないのだろうか.これらの問題は,オ リバー・ウィリアムソンによる次のような思考実験ではっきり理解できるだろう.メ ーカーが部品サプライヤーを統合して取引 を内部化する状況を思い浮かべてみよう. ここでメーカーは,統合によって設立された部品製造部門をあたかも独立の取引主体であるかのように扱い,統合以前と同様の取引関係を続けるとする.ただし,統合の便益が認められた時そしてその時のみ,権限関係に基づいて介入し,統合の便益を実現する.このような取り決めによって,取引の内部化は市場での取引で得られる便益をすべて実現し,かつそれ以上の利益を「選択的介入」によって達成できるはずである.つまり,すべての取引は巨大な企業の内部で行われる方がよい,という結論になって しまう.

 前回までの弘美と薫の例は,実はこの問題に一応整合的な解答を示した,サンフォ ード・グロスマン,オリバー・ハート,およびジョン・ムーアの考え方を説明してい る.

企業と所有

 グロスマン=ハート=ムーアの見方によれば,企業は「非人的資産の総体」であり, 取引は資産を所有することによって内部化 (統合) される.「非人的資産」は物的資産および無形資産 (のれん,特許,ブランドなど) を意味している.一方,熟練・知識などの人的資産はその人に帰属し,人を所有することはできないので企業の定義から除かれている.ただし,人的資産が軽視 されているというわけではない.非人的資産の所有パターンが,取引主体の知識蓄積 の誘因として重要な影響を与えるからである.

 このような考え方によれば,われわれの弘美と薫の例も,最も単純な企業の例であ る.パソコンを所有する弘美は,ソフト開発会社の所有者兼経営者とみなすことができるし,薫が取引 (ソフト開発と販売) に関連するすべての資産を所有するケースは, 薫が所有者兼経営者で,弘美はその従業員として薫に雇用されている形態と解釈でき る.そして弘美がソフト開発の資産,薫がソフト販売の資産をそれぞれ所有する場合と,どちらかが両方の資産を所有する場合 の比較は,まさに弘美と薫が市場で取引する場合と取引が企業内部に取り込まれた場合,すなわち単純化された企業の境界決定の分析となる.

 この分析では,統合することの便益と費用が,単純だが首尾一貫した論理で説明されている.すなわち,統合した側の人的資産への投資は上昇するが,統合された側は投資を控えてしまう.この費用便益の比較 で,望ましい (効率的な) 所有パターン,すなわち企業の境界が決定されるのである.

 われわれの分析例は,企業の境界につい て次のような結論に導いてくれた.取引に関する資産の補完性が強ければ,統合して取引を内部化し,企業の境界を外へ拡張するほうが望ましい.一方,資産が独立ならば,脱統合を志向するほうがよい.

 かつて米国で流行したコングロマリットの失敗は,本業と関係ない事業を非効率に統合し続けた結果であろう.また,最近のダウンサイジングの傾向や,情報産業における日本企業の不振を,資産の独立性の視点から説明できるかもしれない.

 しかし実務に携わる読者の方々にとっても経済理論を専攻する研究者にとっても,この連載で解説してきた理論はまだまだ多くの面で不完全である.契約の不完備性の基礎づけはないし,扱われた「企業」は単純で一面的なものである.企業の境界の問題は経済学において解決された問題ではなく,継続中の問題なのである.しかし経済学は,より広範な現実の問題を分析する方向に変化しつつある.そのような印象を読者の方々が持ってくれれば,この連載への 私の投資も報われたことになろう.