次善のコーポレート・ガバナンスを求めて:シェアホルダー対ステークホルダー

伊藤秀史 (『にちぎんクオータリー』48 (97年冬季) 号,1997年12月掲載)

「コーポレート・ガバナンスの問題」を論じる際の作法は,コーポレート・ガバナンスとは何か,どのような問題として捉えるかを明らかにすることから始まる.本稿ではいわゆる「所有と経営の分離」という特徴から出発して,「(株式) 会社への資本の提供者が投資により生み出される利益を享受できるように,経営陣の行動を規律づける仕組み」と理解することにしよう.このような見方は,経済学の専門用語を駆使すれば「エージェンシー理論」のアプローチに従うものである.多数の資本提供者が存在する会社の経営に関わる意思決定を彼らが行うことは煩雑であり,また彼らの知識や技能にも限界がある.よって経営を資本から分離して経営権を経営のプロに委譲することが望ましい.しかし経営を委譲された経営者 (エージェントすなわち代理人) が,自らの目的を追求して資本提供者の利害に反する決定を行う可能性がある (機会主義的行動).このような経営者の行動を牽制し,適切なインセンティブを与える仕組みがコーポレート・ガバナンスということになる.ただし一般的には,適当な規律づけの仕組みによって経営者が望ましい行動をとるようになったとしても,設計された仕組み自体が本来不要な資源の拠出や制度の改編を伴うために,達成される成果は経営者の機会主義的行動のない仮想の状況と比べて劣ってしまうことが知られている.このような成果の減少による残余コストはエージェンシー・コストと呼ばれる.したがって,規律づけできればよいというわけではなく,このようなエージェンシー・コストをできる限り削減する仕組みを設計・選択することが要請される. (なお,経営の規律づけの具体的な仕組みを論じることは本稿の範囲を超えるので,取締役 (会) と執行部とを区別せず,単純に「経営者」という用語で表す.)

見落とされることが多いが,エージェンシー・コストの源泉は経営者の機会主義的行動のみではない.資本提供者の行動もエージェンシー・コストを上昇させる原因となる.経営者の機会主義的行動を防止するために経営者の自由裁量を制限することには一定の効果があるが,行き過ぎるとむしろ害となる.経営のノウハウを熟知した経営者に,自らの能力を存分に発揮できる機会を与えることも必要である.確固たる決定権限を与えることも,経営者の努力を引き出すインセンティブとなる.しかし,一部の資本提供者が自らの利益になる決定を押しつけて,かえって会社の生み出す付加価値を下げてしまったり,過剰に経営者の意思決定に介入して経営者のやる気を失わせてしまうという可能性も無視できない.このような資本提供者側の機会主義行動も,結果的にエージェンシー・コストを高めうるのである.このような視点から見れば,所有と経営の分離は経営者の自由裁量を確実なものにする仕組みとして理解することができる.また,日本でよく見られる株式持合いも,株主の経営への介入を制限して,かえって企業経営の効率性を高めている可能性もある.望ましいコーポレート・ガバナンスとは,このように経営者に対する締めつけと放任とを適度にバランスさせたものだといえる.

コーポレート・ガバナンスの分析視座として,エージェンシー・アプローチは標準的なものであり,経済学者のみならず法学者の間でもよく知られている.エージェンシー・アプローチに依拠して,米国の会社法の分析を包括的に行った有名な研究もある.しかしながら,このようなエージェンシー・アプローチは日本のシステムの分析にはなじまないという意見もよく聞かれる.その最大の理由は,おそらくエージェンシー・アプローチが,経営者を株主の代理人とみなす考え方と同一視されているからだと思われる.よく知られるように,法律上のタテマエでは会社は株主によって所有され,株主の利益のために存在するとしても,日本においては株主以外の資本提供者,とりわけ従業員の利益が優先されてきたと考えられているからである.

しかしエージェンシー理論の枠組みにおいて,経営を依頼する主体を株主に限定する必要はない.上記の定義から明らかなように,本稿では経営者を多様な資本提供者の代理人として捉えている.資本提供者には法的な所有者である株主はもちろん,債権者も含まれる.また会社に労働をはじめさまざまなエネルギーを投入する (人的資本に投資する) 従業員,会社の意向に沿って設備を導入したり技術革新に向けての投資を行う取引先も,広い意味で資本の提供者といえる.以下では直接考慮しないが,さらに範囲を広げて地域社会等をも含めることもできる.これらの主体はいずれも会社にさまざまな資本を提供し,その運用を経営者に任せて見返りを期待する依頼人の立場にあるといえる.

このようにして資本提供者の範囲を広げていけば,結局ステークホルダー (利害関係者) という概念にたどり着くことになる.コーポレート・ガバナンスという用語の定義にステークホルダーという考え方を含めることが多い.株主のみならず,債権者,従業員,取引先等のステークホルダーが会社から適切なリターンを手に入れることができるような仕組みが望まれるのは,さもなければそれぞれのステークホルダーが投資する意欲を失ってしまい,結果的に会社の生み出す付加価値が小さくなってしまう可能性があるからである.

少なくとも日本においては,株主主権と比較してステークホルダーという考え方はかなりの支持を集めているようである.確かに株主以外にも重要な資本提供者が存在することの方が多いので,株主の利益のみを考慮することでかえって会社の経営の効率性が失われる可能性が指摘されている.たとえば,仮に株式市場が効率的に機能しているとしても,株主主権企業の意思決定が過度に近視眼的になる恐れがあることが,理論的に示されている.それに比べると,多様なステークホルダーの利害を考慮して会社が運営される方が,バランスの取れた意思決定ができるように見える.

ところが,さまざまなステークホルダーを想定した仕組みを設計することにも固有のコストが存在する.第一に経営者が誰に対して責任を持っているのかがあいまいになってしまう.経営者が果たして会社にとって重要なステークホルダーの利害を適切にバランスさせているかどうかを示す単一の指標は存在しない.よって経営者は,仮に機会主義的に行動しないならば,意思決定に際してそれぞれのステークホルダーにとっての便益を見積もり,それらを重要性に応じて集計して決定を下すという手順を踏むことになり,決定に要するコストは莫大なものとなろう.また,すべてのステークホルダーを納得させる決定は困難であり,よほどリーダーシップに優れた経営者でなければ,現状維持に終始するような消極的な経営を行わせることになりかねない.さらに自らの利害にしたがって行動する経営者に対しては,責任を回避する余地を与えてしまう.すなわち,誰か特定のステークホルダーが利益を得ている限りは,どのような決定でも正当化することが可能である.その結果,業績の悪化や不祥事に対しての対応を遅らせる危険がある.

第二に経営を任せる側であるステークホルダーの規律づけが果たしてうまく機能するかという問題がある.多様なステークホルダーの間では,利害が対立することの方が普通である.各ステークホルダーは,自分の利害を経営者が再優先に考えるように仕向けることによって,会社の経営からより多くの利益を手に入れることができる.そのために経営陣をコントロールしようとして,多くの資源を費やすであろう.また,仮に対立点が少ないとしても,他のステークホルダーの規律づけにただ乗りしようとする誘因もある.このようなステークホルダー間の競争ないしはただ乗りの結果,あたかも単一のステークホルダーが存在するような仮想の状況 (たとえばすべてのステークホルダーが一同に会して,会社の付加価値を最大にするように協調して規律づけを行う場合) と比べて,経営者の規律づけの効率性は下がってしまう.

もちろん株主,債権者,従業員といった個々のステークホルダーもまた,多数の主体から成っているので,仮に特定のステークホルダーに対する義務を経営者が負ったとしても,同様の問題は生じうる.しかし多様なステークホルダー間の対立と比較すれば,各ステークホルダー内での対立の余地は少ないであろう.したがって,ただ乗りの問題はあっても競争から生じる損失は相対的に小さいと予想される.

以上の議論から,仮に経営者が特定のステークホルダーの利益に対して責任を持つことが望ましいとしても,それが株主でなければならない理由があるのだろうか.たとえば「会社は従業員のものであり,従業員の利益のために経営されるべきである」という考え方の方が,会社の効率性を高める場合があるだろうか.従業員による資本提供 (人的資本への投資) が非常に重要な状況では,そのような従業員主権の見地に立つことによって従業員の一層の投資を奨励し,株主主権企業よりも高い成果を達成するかもしれない.

しかし従業員の集団と株主の集団を比較すれば,各集団内での利害の対立は,株主の方がはるかに小さい.そして株価のように株主の利害を適切に表す指標が存在するのと対照的に,従業員集団の利害を代表する指標には,決定的なものは存在しないと思われる.少なくとも現実に従業員所有の会社が多く見られる産業 (法律事務所,投資銀行等) では,従業員集団内の利害対立が小さく,かつ利害対立を小さくする仕組みが工夫されている.

本稿は,ステークホルダーの考え方を批判し,株主 (シェアホルダー) のために会社が存在すべきである,という考え方を支持することを目的としていたわけではない.株主主権にも,大株主と少数株主の間の対立をはじめ多くの問題点がある.しかしステークホルダーという考え方が最善であることが自明なのは,理想的な状況においてでしかない.結局何の問題もない (エージェンシー・コストをゼロにする) 理想的なシステムなど存在しないことを認識し,各システムの便益とコストを比較して,次善 (セカンド・ベスト) の形態を採用しようとする方が現実的であろう.これが本稿の主要なメッセージである.