子供と住むならマンハッタン

伊藤秀史 (2000.06.この文章は村田海外留学奨学会30周年記念誌に寄せて書かれたものです)

ニューヨーク,とりわけその中心であるマンハッタンには,大人のための街というイメージがある.そのためか,小さな子供を持つ家族には住みにくい街,ないしは家族でエンジョイしにくい街と思われているようだ.実際子供が生まれたことによって,マンハッタンから郊外に移り住むという典型的なパターンがあるらしい.留学先・派遣先についても「独身ならば東部,家族連れならカリフォルニア」などというアドバイスを聞いたこともある.

そのマンハッタンに1998年1月から12月まで1年間家族と滞在した.客員教官としてコロンビア大学で教育と研究に従事するためである.長男は4才になったばかり,長女は生まれて5ヶ月目であった.われわれも郊外に住む可能性を探り,真剣に迷った末,通勤や自動車の問題などもあって結局コロンビア大学の近所に落ち着いた(アッパー・ウェスト・サイドの北,116thから120th Streetのあたり).前半はサバティカルで不在の教官のアパート,後半はビジター用のアパート(いずれもコロンビア大学の所有)で生活した.

今振り返ってつくづく思うのは「子供と住むならマンハッタン」である.子供と探検することで,独身貴族,DINKSが決して知ることのできないマンハッタンを知ることができる.高級なレストランは子連れでは無理でも,子供大歓迎の(そして料理のおいしい)レストランはいくらでもある.メトロポリタン・オペラカーネギー・ホールが子供にはまだ早過ぎるならば,屋外のコンサートを探せばいい.セントラル・パークでの無料コンサート,ブライアント・パークでのジャズコンサートなど,家族連れでいっぱいだ.ブロードウェイの劇場や美術館群に行きにくければ,子供のためのアートとダンスのクラスがある(親の方が夢中).そもそも子連れだからと美術館巡りをあきらめる必要はない.MOMA(近代美術館)は会員になって子連れで頻繁に通ったし(長男が名画を手で触ろうとするスリルもある),ソーホーのグッゲンハイム美術館など,長男のお気に入りであった.さらに屋外の遊び場巡り(ダイアナ・ロスの寄贈した遊び場なんて知ってます?),マンハッタン子供博物館,メイシーズの感謝祭パレード,個性的な玩具店など,補って余りあるものはいくらでもある.

今日日本の大都市でも同じような対比がある.東京,大阪,神戸,京都などの大都市も,独身者が見る都市の顔と子連れの家族が見る顔とでは異なってくる.訪れる場所は自然と分かれるものだ.しかし日本の大都市に欠けているものがあると思う.それは人々との交流,子連れであることで生まれる一期一会のやりとりである.マンハッタンでは,子供に話しかけ,あやしてくれる人々はどこにでもいる.地下鉄の座席に座っている大柄な男性,バスに乗っているお年寄り,レストランのウェイター・ウェイトレス,ショッピングで応対する店員,野外コンサートの観客,アパートのドアマン...東京や大阪でそのような大人と子供の交流はほとんどない.子供を抱きかかえた母親に人が座席をゆずる光景を見ることも少ない.

マンハッタンは大人のためだけの街ではない.しかし大人の街なのだろう.